須田亜香里は全国バレエコンクール2位だった?所属バレエ団は?情報まとめ!

アイドルの枠を超えて、今やメディアで引っ張りだこ須田亜香里さん。

彼女について調べていたら、バレエ経験者で、しかも相当な腕前だったことが判明。

どのくらいのレベルだったのか?何年やっていたのか?どこのバレエ団に所属していたのか?

現在はやっていないのか?須田さんとバレエの関係を徹底調査してみました。

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須田亜香里さんのプロフィール

須田 亜香里(すだあかり)

生年月日:1991年10月31日
出身:愛知県名古屋市
血液型:A型
職業:アイドル
グループ:SKE48・チームEのリーダー
事務所:AKS
趣味:ドラマ観賞・人を好きになること・中国語の勉強
特技:クラシックバレエ・軟体芸
将来の夢:バックパッカー・いい女になること


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特技がクラシックバレエと軟体芸

プロフィールの特技欄に「クラシックバレエ・軟体芸」とあります。

SKE48のライブやテレビ番組、インタビュー等で、クラシックバレエと軟体芸を披露しています。

須田さんと言えば軟体芸が有名

須田さんと言えば「軟体芸」披露ですね!

これが須田さんの知名度アップにつながった一因であることは間違いないです。

テレビ番組では、プロのアスリート達を抑えて優勝したりしていますので、相当な実力者であることが分かりますね。

クラシックバレエを5歳から18歳までやっていた

須田さんのTwitterには、こう書いてあります。

「全身で表現することは必要不可欠で永遠の課題です」と。

上記の軟体芸も、ただ単に特技の披露という訳ではなく、身体表現に並々ならぬ思いを持って臨んでいる、ということなんですね。

クラシックバレエを5歳から18歳までなさっていたそうです。

当時の実績や、どんなバレエ団に所属していたのか等、掘り下げていきたいと思います。


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バレエコンクールで全国2位だった

高校一年生のときに開催された「第11回 バレエコンペティション21 」15-16歳の部で、全国2位の成績を修めました。

このとき、1位は該当者無しだったので、実質優勝だったと言えますね。

その後「第9回ザ・バレコン名古屋」女子ジュニア部門3位になっています。

全国トップレベルの実力者だったのですね!

所属していたバレエ団は?

名古屋市の松岡伶子バレエ団の準団員でした。

東海地方では規模の大きいバレエ団で、愛知県・岐阜県・三重県に30ヶ所のバレエ教室を持っています。

女優の香里奈さんも通っていたそうです。

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バレエを辞めてアイドルになったのは何故?

プロを目指すほど打ち込んでいたバレエを18歳で辞めて、アイドルになったのは何故なのでしょうか?

5歳から18歳までどんな生活を送っていたのか、詳しく見ていきましょう。

18歳までバレエ漬けの生活を送っていた

須田さんは「姿勢が良くなるように」とバレエを勧めてくれた祖母の言葉をきっかけにクラシックバレエを習い始めました。

最初はレッスンについていけず、バレエが嫌いだったそうですが、持ち前の負けず嫌いな性格を支えにして続けるうちに、プロのバレリーナを目指すようになるほど、バレエ漬けの生活を送っていました。

努力が実って全国トップレベルの実力者になった

中学生になる頃には、もっとバレエに集中するために、高校受験をしなくていい中高一貫校に入学しました。厳しい先生に足を叩かれ、怒られ、その上に、足の皮が何度もめくれるほどの厳しいバレエのレッスンを積み重ね、前述のとおり、全国トップレベルの実力者になりました。

体育会系の部活動のように「仲間で助け合って何かを成し遂げる」ことに憧れるようになった

子供の頃からバレエ団に所属していたので、学校の部活動を一切経験しないまま、高校3年生の夏を迎えました。

当時、高校生活最後の部活に一致団結して打ち込むクラスメート達から浮いていたことから「部活動のように、仲間で助け合って同じ目標に向かって何かを成し遂げる」ということに憧れを抱くようになり、同時に、バレエへの情熱が少し冷めていきました。

SKE48と出会い、バレエを辞める決心をする

そんなある日の下校中、名古屋の栄にあるビル・SUNSHINE SAKAEのモニターに映るアイドルグループ・SKE48の姿を偶然見かけました。

その瞬間、須田さんは「部活動のように、仲間で助け合って同じ目標に向かって何かを成し遂げる」ということに対する憧れが抑えきれなくなりました。

さっそくSKE48三期生募集のオーディションに応募、見事合格して、SKE48の一員となりました。

しかし、SKE48の活動とバレエとの両立は不可能だと判断し、バレエを辞める決心をしました。

須田さんいわく「自分の全てをかけて打ち込んできた大切なバレエを捨てた」ことが、その後の須田さんの原動力となっています。

「バレエを捨ててまでSKEを選んだのだから頑張らないと!」と、気持ちを奮い立たせて頑張ってきました。

「私の場合、バレエをやめて入ったことが意志を保てる大きな要因になってるのかな、と。

バレエを辞める選択も自分でしたし後悔はないですけど、家族に後悔させたくないっていう思いがあるんですよ。

バレエってやっぱりお金かかるじゃないですか。

でも一生懸命やれるものがあるんだったら勉強もそこそこでいいよっていうくらいぬくぬくと育ててもらった分、「バレエもやめて勉強もダメでSKE48も中途半端でした」では流石にシャレにならないなって。

後戻りできない気持ちが自分の中にもあるから底力がでるんじゃないかなと思うことはあります。」

https://dasu-fan.jimdo.com/

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バレエで培った技術が、アイドル人生の大きな支えになっている

冒頭でご紹介した「軟体芸」は、視聴者に強烈な印象を与えました。

名前は忘れられても「あの軟体芸の子!」というふうに覚えてもらえるようになりました。

そして、ライブや紅白歌合戦や人気メンバーの卒業イベント等で、「私はバレエが出来ます!」と自分を売り込んでバレエを披露する機会を勝ち取り、ハイレベルなパフォーマンスを世間に印象づけることに成功し、徐々に知名度を上げることが出来ました。

https://twitter.com/dasuwaikaa/status/914420690274545664

しかし、自分を売り込んでハイレベルな技術を披露する機会を勝ち取ってきたものの、須田さんの中では相当な葛藤がありました。

13年間バレエに打ち込んできたとはいえ、SKEに入ってからはレッスンを辞めているので、どこまでブランクを埋めることが出来るか、みんなの期待に応えられるのか等、相当なプレッシャーがありました。

そして「長く休んでいたくせに、そんなに上手くいってたまるか」と頑張っていた頃の自分の声もあり、悩み苦しみましたが「まずはやってみよう!」と、仕事の後にレッスンをし、体を出来るだけ当時の感覚に近づける努力をし、今の自分の出来る限りを尽くしてきました。

今の須田さんは、バレエを仕事に活かせることが出来て、バレエをやってきて良かったな、バレエを「特技」ではなく「個性」として、大勢の仲間の中で輝くものの一つにバレエがあったらいいな、と思っているそうです。

バレエが大きな夢を次々に叶えてくれた

ずっと会いたいと思っていた海外の有名なバレリーナとの共演を果たしたり、バレエが盛んなキューバに行ったり、写真集を出したり等、ずっとやりたかったことを、バレエが叶えてくれました。

大きな覚悟を持って捨てた大切なバレエが、須田さんのアイドル人生のとなり、それは今後も続いていくことでしょう。

まとめ

須田亜香里さんとバレエの関わりを徹底調査し、ご紹介しました。

5歳から18歳までバレエ漬けの生活を送り、全国2位の実績を持っていたとはすごいですよね!

しかし、18歳のときに「みんなで力を合わせて1つの目標に向かって打ち込む」ということに憧れを抱くようになったことが、SKE加入と、バレエを辞めることにつながります。

須田さんは、相当な覚悟を持ってバレエを捨てましたが、須田さんが世間に知られるようになり、不動の人気を得たのは、バレエが培った身体能力のおかげだと言えるくらい、バレエがアイドル人生を支えてくれました。

長年会いたいと思っていた有名バレリーナに会えたり、写真集の出版が叶ったのもバレエがきっかけでした。

こうしたことから、須田さんはバレエの大切さを再認識し、練習をずっと続けていきたいと思っています。

須田亜香里さんの活躍、成長に今後も注目していきたいですね!

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